無駄なことは何一つない
無駄なことは何一つない
とは言うけれど、そう認めることが出来るまでは時間がかかるものだ。それをとても痛感した。
今日、お話をしていた時に自ら
「振り返ってみると、無駄なことは何一つなかったんだと思う」と発した時にハッとした。
少し前の私なら、そんなこと言えなかったことだから。
これまでの私はこうだった。
- 何をするにも損得勘定
- 自分の利益にならないことは一切しない
- 相手を選びすぎ
- 先入観で物事を進めてばかり
損したくない気持ちが強かった。
プライドの高さは半端じゃなかった。
常に誰かに牙向いていないと生きていけなかった。
何かわからないけど、闘争心を失くしたら死ぬと思うくらい。
かつて騙された経験(詳細は語りませんが)から、人を疑ることで自分を守って正当化していた。
信じていた人から他者と比較されて否定されたことから、自信をなくして心を失うような思いをしたことで、その相手をもっと傷付けて自分と同じ目に遭わせてやりたいと攻撃したこともあった。
そういう思いが何年経っても癒えなかったのは、自分がその時の悔しさを返上出来なかった(復讐に成功できなかった)からではなく、
自分の弱さや陥ったことを認めることが出来なかったからだ
と気がつけるようになったのは、本当にここ最近のこと。
今年が人生の転換期だと自覚し、前に進もうと覚悟を決めたときのことだ。
次の道を歩むためには、遺してきた後悔や失敗を受け止めたり昇華しなければいけない。
二度と同じ過ちは犯したくない。
妄りに人を傷つけたくなんてない。
私は私だと言える自分でありたい。
そういう思いを抱き、進もうと決心ができるようになったのは決して簡単な事じゃないし、一朝一夕でのことではない。
これまで沢山失敗し、沢山の損と消費を繰り返し、人を傷付けてしまったり、自分も傷ついて、…そんな負の要素もあったから。
大事なのは、
その負の要素を活かして自身を守っていくことや成長させていくことだと思う。
それこそ、この先生きていく上で失ってはいけないことなのではないか。
不毛だとも思うことは沢山あった
意味なんてないと思うことだって嫌々してきた
心を亡くすまではいかなくとも、自分が何者かもわからず抜け殻が怨念で動いているかのような時もあった
けれど、そんな思いをしてきたからこそ、
自分はどう生きていきたいかを考えるようになった。
好きなこと、心が豊かになることがしたいと思えるようになった。
自分も相手も認められる人間になりたいと思った。
こう思えるまでの道のりは決して短くなかった。
けれど、此処に到達して振り返った時に怒りや悲しみ、悔しさは込み上げてこなかった。
そこにあったのは、前を見据えられるようになった自分。
その時初めて、
これまでの経験に無駄なことは何一つない
と思えたのだ。