~してもらうよりも、~したい。
「愛されるよりも愛したい」みたいな。
私はもともと
自分から進んで動いていきたいので、
「誰かにやってもらう」
というのが苦手だ。受け身が苦手だ。
立場の問題で自分一人じゃできないことや、
ほかの人がやった方がいいことなどは
「誰かにやってもらう」のだが、
その結果がすべて思い通りにいくとは限らないから。
- 思い通りにいかない
- 自分の意見が蔑ろにされる
- 明確な反対理由もなしに意見をなかったことにされる
これが嫌いなことだから。
その結果の欠点すべてに理由を求めては、
「何でこんなことくらいも出来ないの?」
と問いただすこともあったけど、
皆が皆、同じ常識で生きているわけじゃない
他人は他人、自分は自分
他人は変えられない、けれど自分の思考と行動は変えられる
ということを自覚するようになってからは、
- ~しないために、私は行動する
- 目的や理由をハッキリと述べること
- ものごとの原因を分析する
- 自分はどうしたいか、どうすれば次に進めるか
と思考を切り替えられるようにもなったし、
相手へ要求できるようになった。
仕事もプライベートも。
自分からは何もしないくせに(出来ない立場のくせに)、結果に対して文句、不平不満を言う人が昔から嫌いで、(父親が根源)それに対して常に
「何もしないくせに一丁前に文句言うな」
「やってから文句言え」
と父親に反抗していたふわもりも大人になっていくうちに、自分も不平不満を抱くようになっていた(ロクに行動していなかったのに対して)。
そんな自分のアイデンティティと、
今の社会での自分の振る舞いの間で乖離しているなあとここ1~2年で直面することが多くなり、その度に悔しくなるのが嫌で、とにかく行動するようになった。
そしたらドンドン新しいことが見えてくる
知識も増える、スキルも磨かれていく
勿論、しくじったこともある
怒られたこともたくさん
結果が思い通りにいかないことがあったとしても、考えて行動すれば自ずと
「ダメだったところ」を自覚するようになり、、
「次からは~しない」ってなる。
だから、私はとにかくやってみることにしている。
最悪の事態から逆算して。
だから、
自身ができる最善を尽くしてもいないのに
文句を言う人は
「ワガママおぼっちゃまくん/お嬢ちゃん」
「自分のことしか考えられない人」
だと思っているし、私はなりたくない。
とはいえ、私もまだまだワガママだったり、
相手を思いやれない一面はあって、
その度に「未熟な自分」「最善を尽くしてこれなかった自分」を悔やむもんで。
けれど、不特定の誰かに認められるんじゃなくて
自分の大切な人や
目の前で向き合っている相手に対して常に最善が尽くせれば、自分も相手もハッピーになれるのかなって。
大それたことをしたいわけじゃないけれど、
せめて、自分と自分の周りの人にはいい気持ちでいてほしいからね。
大切なことは、
言葉にして表そう。
悪いことは雄叫びにのせて、
遥か彼方に吹っ飛ばしましょう。